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山形城址へ行くので、もう一か所どこかへと探してみたところ、山形と言えばここでしょうとばかりにすぐ出てくるのがここ<立石寺>、通称<山寺>

松尾芭蕉が山寺にお詣りして「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだことで有名だとか。
すいません、全然しりませんでした。

とにかく山形にはなかなか行くことはできないだろうし、山形城址のあと<山寺>へ向かう。
平日だし、そんなに混んでる感じはしてなかったんだけど、<山寺>の近くで駐車場を探しはじめて人の多さにビックリ。
その時点でもまだ甘くみていた私たち。
なんと道路に行列が・・・・・・。
警備の人が「最後尾」って看板持って立ってる・・・・・・・。
何事かと思ったら、今年は50年に一度の御開帳で5月末まで、1時間待ちとのこと・・・・・。
普段こういう行列には並ばない主義の私たちなんだけど、やはしここはがんばるべき!・・・よね?

ここまでくるのに40分。

階段を上ってやっと<根本中堂>にたどり着く。
ここが立石寺の本堂で、この中に今回御開帳の本尊<薬師如来像>がいらっしゃるんだけど、本堂に入ってからまた長い行列。
ここはUSJか!
やっと出会えた<薬師如来像>はとてもしっかりした顔の仏様でした。

よい天気だし、もちろん<奥の院>まで行く。
<山門>から石段が800段余り。

途中に<せみ塚>がある。
松尾芭蕉の「閑さや・・・」の句を書いた短冊が埋められているといわれる塚だそうです。
そこらじゅうに人がいてどこが静かやねんと思ってたけど、ここはひっそりしてた。

<せみ塚>から少し上ったところに<仁王門>
もちろん両脇に仁王様。

石段を上りきって、やっとたどり着く。
向かって右手が<奥の院>、左手が<大仏殿>


立石寺を創建した慈覚大師円仁が祀られてる<開山堂>と百丈岩の上に建つ朱色の<納経堂>
この崖の下に円仁の棺を納めたといわれていた入定窟があって1948年に調査が行われた。
そして伝説通り金棺が発見されて、棺の中には4体分の遺骨と首のない遺骨1体、慈覚大師頭部像が納められていたんだとか。
いったい何があったんだろう?????

岩場の窪みに建てられている<胎内堂>
ここへ入るには谷に架けられた梯子を渡り、岩の下をくぐり抜ける「胎内くぐり」をしなくてならなくって、一般には立ち入り禁止だとか。
ちょっとだけ行ってみたいけど、ま、冷やかしでは立ち入れんよなぁ。

とにかく良いお天気で、とにかくすごい人で、とにかくそこらじゅうのお堂でご朱印をいただき、なんだかとっても楽しかったです。
山から下りてきて食べた「サクランボソフト」がものすごく美味しかった。


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日本100名城のひとつ<山形城址>へ。


別名<霞城(かじょう)と呼ばれるこのお城、今は二の丸だった場所が<霞城公園>となってて、周辺には野球場、体育館、博物館がぐるっと立ち並んでる。

1356年に築城され、慶長年間に最上義光(もがみよしあき)が城郭を拡大、関ヶ原の戦いの功によって57万石を領し、ここを本城とした。
最上義光は出羽山形藩の初代藩主で、義光の妹義姫は伊達政宗の母。
最上家と伊達家はいろいろややこしいらしい。


晴天の下の<最上義光の騎馬像>はとっても迫力あり。
すぐ近くに<二の丸東大手門>
枡形内の高麗門及び土塀は復元されたばかり。




そして<本丸一文字門>の石垣が復元工事中。


山形市は2033年くらいまでに本丸北枡形の復元を完了する計画とのこと。
今はちゃんとした史料がないと復元させてもらえないらしいからなかなか難しいみたいだけど楽しみ待ちます。


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日本100名城のひとつ<岡崎城>へ。

ここは徳川家康が生まれたお城で、別名<龍城>と呼ばれる。
1452年(1455年)に守護代の西郷氏が築城し、1531年に徳川家康のじいちゃんである松平清康が奪いとり改修した。
1542年に家康が生まれた頃は石垣などなく、堀を掘った土を盛り上げた土塁がめぐっていただけ。
一時期今川家の支城となるが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が負け、徳川家康が城を取り戻す。
家康が浜松城に本拠を移し、子の松平信康が死んでからは重臣が城代を務めた。
その後家康が関東に入り、豊臣家臣であった田中吉政が城主になってからの城の拡張、整備によって現在の岡崎城の原型が造られた。
3重の天守が完成したのは1617年である。
1873年に廃城となって撤去、1959年に再建された。
2007年のマンション建設のための発掘調査で石垣がみつかり、国内4番目の規模の城であることが判明した。

城の正面にある杉の木、あーは邪魔っていうけど、私はカッコ良いと思うな。


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近いようでちと遠い<豊川稲荷>へお参りに行く。

<総門>をくぐると参道には屋台店がずらりと並んでて、お正月もずいぶん過ぎてるのに人でもなかなかだし、さすが<豊川稲荷>って感じ。

そして<山門>を抜けて、正面に<妙厳寺法堂>が見えてくる。

本尊の千手観音像が安置されてます。
そしてご朱印をいただこうと思ってはたと気づく。
(あれ?ここってお寺なんだ)
豊川 "稲荷" って言うんだからてっきり神社だと思ってたけどお寺用の朱印帳も持ってきててよかった。
と思ったのもつかの間、なんと<法堂>の横に<鳥居>があるのです。

ここで完全にパニクる。
いやいやお寺と神社が隣同士とかってよくあることじゃんと無理やり納得させ、こっちが<豊川稲荷>なんだとお参りする。

ところがだれも柏手打たないのです。
しーんとしたところで柏手を打つ勇気もなくお参りをすませる。
<奥の院>まで<千本のぼり>がはためく道を歩く。

途中、<霊狐塚>へ寄る。

ものすごい数の狐の像が圧巻。
そしてこの信者が奉納したという狐たちに囲まれた岩山に群がる人々が!

調べてみたら、この岩山の岩の隙間には硬貨が隠されていて、その硬貨をうまく取り出せたらお金持ちになると言われているのだとか。
取り出した硬貨はお守りにして持ち、お金が儲かったらお守りにした硬貨の何倍かの硬貨をこの岩山に隠しにくるというきまりということなんだけど、真剣に取り出そうとしている人ばかりで、隠しにきてる人はいなさそうだった。
そして<奥の院>

なんとなく<奥の院>っていうと山道をうんと登らないとたどり着けないイメージがあるんだけど・・・・。
まっいっか。
それからそれから<景雲門>



<豊川稲荷>というのは曹洞宗の寺院であり、正式には<妙厳寺(みょうごんじ)
<本殿>に祀られている鎮守の稲荷、吒枳尼天(だきにてん)はインド仏教の女神で、日本では稲荷信仰と習合して稲荷神と同一視されることになり、一般には<豊川稲荷>として知られることになったのだそうだ。
なので神社ではないんだけど商売繁盛の神さまということで境内の参道には鳥居が立っている。
といっても1871年に神仏分離令が出た時には鳥居は撤去され、現在の鳥居は戦後に建てられたものだとか。

それにしても寒かった!


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時間があったので<泉岳寺>近くにある<高輪神社>へ寄ることにした。

道路からちょいっと曲がると<鳥居>があって、階段を上ると正面に<本殿>がある。

とっても綺麗だったな。

<本殿>左隣には<太子堂>があって、聖徳太子が祀られてるみたいでした。


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