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新撰組好きのあーが「土方歳三最期の地へ行かねばならん」というので、函館駅前のホテルにチェックインし、のんびりする間もなく出かける。
レンタカー屋でもらった函館市内の観光マップに載ってるのを発見したんで、夕方になって日が翳り、ますます寒くなってる・・・・・けど、がんばる。
函館駅から800メートルほど。

案内板

八幡通りに案内板発見!!
総合福祉センターの敷地内になるのか、公園になってるみたいで、奥へ進んでみる。

碑

そして<土方歳三最期の地碑>発見する。

「土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて北上し、仙台で旧幕府脱走艦隊と合流。
 1868年(明治元年)10月、北海道に上陸した旧幕府軍は函館を占拠して新政権を樹立。
 1869年2月、新政府軍の総攻撃で旧幕府軍は敗退するが、土方が守った二股口は最期まで落ちなかった。
 しかし、1869年5月11日、函館はついに新政府軍の手に落ちる。
 土方は函館奪回を目指して、一本木の関門から函館に向かって切り込んでいくが、銃弾に倒れた。
 土方歳三35歳。」


この碑の右手に一本木の関門が作ってあった。

司馬遼太郎の 『燃えよ剣』を読み終えてこの旅行に備えたあーによると、土方歳三は五稜郭へ向かう途中、敵に止められて名前を聞かれ、このとき旧幕府海軍の要職についてたにもかかわらず「新撰組副長土方歳三」って名乗ったんだ、と自慢げに語る。
はいはいかっこいーね、と適当に相槌をうつものの、やはし土方歳三はかっこよかったのだろうと思う。


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<横綱記念館>でチケットを買うとき、<青函トンネル記念館>との共通券があるということだったので、「本州側の記念館も行ったことだし北海道側もチェックでしょう」としっかり購入。

青函トンネル記念館

実際の坑道に下りていける本州側と比べると地味な感じではあるけど、青函トンネルの歴史をたどってみるとやっぱり感動!

そして!
この記念館から函館に戻る途中、<青函トンネル出入口撮影ポイント>っていう看板を発見。
そりゃもちろん寄ってみるでしょう。
舗装されてない4~5台止めれそうな駐車場があって、撮影台が作ってある。
「せっかくの撮影ポイントもちょうど電車が通らなかったら残念だよなぁ」なんて言ってたら、撮影台にはちゃーーんと時刻表が貼ってあった。
それも、青森(だったかな?)発、青函トンネル入口青函トンネル出口、函館着の時間が載ってるというテッチャン冥利につきる、なんて親切な時刻表だ。
時間を見てみるとあと10分で電車がやってくる!
たしか<白鳥○号>だったと思う。(時刻表の写真撮っておくべきだったなぁ・・・・・)
いや、調べればわかるのか?
4時10分にトンネル出口だったから・・・・・・・・・・

うーん、多分<白鳥40号>かな!(なんかちょっと適当)
で、うまく写真撮れるだろうかとドキドキしながら待つ。

青函トンネル出口

突然現れてビューンと行っちゃうかと思ってたんだけど、まずゴーーーって音が聞こえてきて、ゴットンゴットンって感じで現れた。
少年時代テッチャンだったあー曰く、「トンネル内は減速するから」って。
そうだったんだ。
なんとなく拍子抜けしたけど、なかなかのおもしろ体験だった。


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