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今年の初詣は「たにぐみさん」へ行ってきた。
西国三十三所第三十三番札所である。

すごく良いお天気で、少しだけ積もった雪が花みたい。

<仁王門>には門松が飾ってあっていかにもお正月だ。

平成20年9月15日に和歌山方面を旅して青岸渡寺にお参り。
その時に「西国三十三霊場納経帖」というのを手に入れ、そしてまたタイミングのよいことに「結縁御開帳」が始まったところだった。

西国巡礼を復活させたといわれる花山法王没後1000年を記念して、全札所の寺院がご本尊様を順に開扉法要するというのだ。

一番近くて一番最後の三十三番を残してきて今日で最後。
4年とちょっとかかってしまった。

結局秘仏を見ることができたのは第六番札所の壷阪寺だけかな。

それでも納経帖に33個の、いや華厳寺では3個朱印押してくれたので35個の朱印を見ると、とってもやりとげた感が湧き上がってくる。

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だるまのお寺<勝尾寺>の次にやってきたのは宝塚にある<中山寺>
西国三十三所第二十四番札所になる。
以前はよく宝塚歌劇を見るためすいぶん中山寺駅を通過したものだけど、一度もお参りしたことはなかった。
この辺りはなんだかすこし懐かしい。

三十三所巡礼

こんな雰囲気のある路地をぬけると、大きな<山門>が現れる。

山門

1646年に徳川家光が再建したもの。
両脇の赤い仁王様はずいぶんと新しいものだと思う。

参道をずーっと歩いて<本堂>へ。

本堂

本堂の壁

1603年に豊臣秀頼の命で片桐且元が再建した。
軒下の壁の模様、すごくきれい。

このお寺は、聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場。
また、安産祈願の霊場として信仰が深く、豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとか、中山一位局が安産祈願して明治天皇を無事出産したといわれ、毎月戌の日には「安産祈祷会」が行われ、多くの参詣者が訪れるらしい。

護摩堂

<本堂>のお隣にある<護摩堂>
こちらも1603年に再建されてて、<山門><本堂>と共に、県指定重要有形文化財になっている。
<護摩堂>の向うは<開山堂>

本尊は<十一面観世音菩薩>で、左右の脇侍も十一面観世音菩薩、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。
この秘仏は毎月18日に開扉される。
またしても拝めず・・・・・

三十三観音

が、境内に33体の観音様が並んでるのを発見。
ま、よしとする。


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<総持寺>に続いて、西国三十三所第二十三番札所<勝尾寺>へ。

勝尾寺

境内に出入りするには<お休み処>を通らねばならない。
さすが商売上手。

山門

1603年に豊臣秀頼によって再建され、平成にはいって修復された<山門>
通路両脇にはちゃんと<仁王様>が睨んでた。

参道をずーっと歩き、階段をずーっと登っていくと<勝ちダルマ奉納棚>が。

だるま

とにかく大小のダルマがぎっしり!!
願いが叶った勝ちダルマが奉納されてて、増える一方なのだとか。
顔もいろいろだし、あちこちきょろきょろしてる感じで笑えてくる( *^艸^)プププ

そのすぐ隣にあるのが<厄払い三宝荒神社>

厄払い荒神

「三宝荒神」というのは仏・法・僧の三宝を守り、不浄や災難を除去する神様として信仰されている。
ここ<勝尾寺>の荒神社は、日本で最初のものなのだそうだ。

そして<本殿>

本堂

こちらも<山門>同様、1603年に豊臣秀頼によって再建されている。

<勝尾寺>は紅葉の名所として有名なのだそうで、平日だというのに結構人がたくさん。

紅葉

天気も良くって、紅葉の赤がきれーだった。


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西国三十三所第二十二番札所の<総持寺>へ。

山門

階段を登ったところに立派な<山門>があって、両脇にはちゃんと<仁王様>も。

手水舎

階段右下にあった<手水舎>
今まで見たことない形をしてて、人が近寄るとセンサーが反応して水が出るようになってた!!!
水の節約みたいな意味もあるんだろうけど・・・・・

<山門>をくぐって境内へ。

本堂

<本堂>でお参り。
1571年に織田信長の軍勢に総持寺が焼かれたとき、秘仏本尊である千手観音の下半身も焼かれたんだけど、上半身は黄金に輝いていたといわれることから「火伏せ観音」と呼ばれ信仰されているのだとか。
また、この観音様は亀に乗っているらしいんだけど、秘仏公開は毎年4月15日から21日までと見ることは叶わず。
ちゃんと調べてから行け!ってことなんだけど・・・・、残念!

総持寺を開いたのは藤原山陰という平安時代の役人で、「亀の恩返し」という昔話で伝えられている。

 藤原山陰の父、高房が太宰府に赴任する途中、淀川で漁師に捕まった亀を助ける。
 その夜、山陰が川に落ち、高房は観音様に山陰の無事を祈ると、昼間の亀が山陰を背に乗せて現れた。
 高房は感謝し、観音像を造ることを誓うが、願いが叶う前に亡くなってしまう。
 山陰は父の遺志を継ぎ、長谷観音のお告げで仏師を見つけ、「これから千日間かけて仏像を彫るから誰も部屋に入れるな。食事は山陰自身が作るように」という仏師のいいつけを守って千日食事をつくり続けた。
 そして、千日目の朝、仏師は空に飛んで消え、亀の背に乗る千手観音像が残された。


千日料理をつくり続けた山陰は「包丁道の祖」として有名で、秘仏が公開されている期間中の4月18日には<山陰流包丁式>という行事が行われ、全国から料理人が参拝に訪れるのだとか。

包丁塚

境内には<包丁塚>や、弘法大師、地蔵菩薩、惚け封じの普悲観音が祀られた建物がたくさん。

亀

そして境内にある小さな池には<亀>もたくさん。
仲よさげにひなたぼっこする亀たちにほのぼのしたのでした。


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竹生島の帰りに「西国三十三所第32番札所」の<観音正寺>へ寄ることにした。
標高433メートルある繖山(きぬがさやま)の山頂近くにあるこのお寺。
麓から登ることもできるけど、山上駐車場までもちろん車で。

参道入口

駐車場から本堂までの山道をのんびり歩いてると、途中<ねずみ石>なるものが現れる。

ねずみ石

なぜ<ねずみ石>なのかはよくわからないけど、なんとなくねずみに見えないこともないか??
そのほかにも、いろんな<石仏><仏像>が道端にたくさんいらっしゃるもんだからd(≧▽≦*d)である。

石仏

仏像

15分も歩いてやっと<仁王様>のとこへたどり着く。

仁王様

仁王様

このお寺は門がないもんだから、<仁王様>は青空の下で仁王立ち。

如来様

本堂までの参道に<仏像>が。
うーん、多分<如来様>だとは思うんだけど、<釈迦如来>なのか<阿弥陀如来>なのかはわからない。

手水舎

なんだかオブジェのようになってる<手水舎>だった。

本堂

そして<本堂>
本堂は1993年に火事で焼けて、2004年に再建されたもの。
本尊の千手観音立像も焼けてしまったので、新しく作られた千手観音坐像が本尊となっている。
インドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られた象は、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像。
白檀は輸出禁制品なんだけど、特別に許してもらったのだとか。

本堂の右手側にこんな岩山があって、右手奥に<魚藍観音>が祀ってあった。

観音経の信者に嫁いだ魚商の美女が観音の化身であったという唐代の逸話に現れる観音様らしく、「己の罪苦を取り除くことを念じて観音水を注いでください」ということなので、観音様だけが濡れているのです。

大きいのぼり旗があちこちに立ってて、風にパタパタなびき、ポールがきぃきぃ軋む音が印象的だった。

観音寺城跡(かんのんじじょうあと)へつづく・・・・・

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