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西国三十三所第二十二番札所の<総持寺>へ。

山門

階段を登ったところに立派な<山門>があって、両脇にはちゃんと<仁王様>も。

手水舎

階段右下にあった<手水舎>
今まで見たことない形をしてて、人が近寄るとセンサーが反応して水が出るようになってた!!!
水の節約みたいな意味もあるんだろうけど・・・・・

<山門>をくぐって境内へ。

本堂

<本堂>でお参り。
1571年に織田信長の軍勢に総持寺が焼かれたとき、秘仏本尊である千手観音の下半身も焼かれたんだけど、上半身は黄金に輝いていたといわれることから「火伏せ観音」と呼ばれ信仰されているのだとか。
また、この観音様は亀に乗っているらしいんだけど、秘仏公開は毎年4月15日から21日までと見ることは叶わず。
ちゃんと調べてから行け!ってことなんだけど・・・・、残念!

総持寺を開いたのは藤原山陰という平安時代の役人で、「亀の恩返し」という昔話で伝えられている。

 藤原山陰の父、高房が太宰府に赴任する途中、淀川で漁師に捕まった亀を助ける。
 その夜、山陰が川に落ち、高房は観音様に山陰の無事を祈ると、昼間の亀が山陰を背に乗せて現れた。
 高房は感謝し、観音像を造ることを誓うが、願いが叶う前に亡くなってしまう。
 山陰は父の遺志を継ぎ、長谷観音のお告げで仏師を見つけ、「これから千日間かけて仏像を彫るから誰も部屋に入れるな。食事は山陰自身が作るように」という仏師のいいつけを守って千日食事をつくり続けた。
 そして、千日目の朝、仏師は空に飛んで消え、亀の背に乗る千手観音像が残された。


千日料理をつくり続けた山陰は「包丁道の祖」として有名で、秘仏が公開されている期間中の4月18日には<山陰流包丁式>という行事が行われ、全国から料理人が参拝に訪れるのだとか。

包丁塚

境内には<包丁塚>や、弘法大師、地蔵菩薩、惚け封じの普悲観音が祀られた建物がたくさん。

亀

そして境内にある小さな池には<亀>もたくさん。
仲よさげにひなたぼっこする亀たちにほのぼのしたのでした。


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