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東京へ観劇に出た際、このところ気になっていた<泉岳寺>へお参りに。

<山門>

<本殿>


ここ<泉岳寺>は、1612年に徳川家康が創建。
1641年、寛永の大火で焼失したんだけど、徳川家光の命により高輪の地に再建された。
家光えらい!

元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られているわけです。
今まで年末恒例の「忠臣蔵」というものを見たことがなかった私ですが、ちょっとした縁がありまして、彼らのお墓参りをすることに。

墓所の手前でお線香100yen を購入するとこんなにたくさん、それも火を点けてくれる。

ちょっとびっくりするけど、それもそのはず。
浅野長矩と赤穂浪士四十七士と討ち入り以前に自害した萱野三平の供養塔があるわけで、これだけお線香があってもとても足りない感じ。





境内には吉良の首を洗ったという<首洗い井戸>がある。


そして<山門>脇には、昼行灯と呼ばれた大石内蔵助。


「元禄赤穂事件」というのは、元禄14年3月14日(1701年4月21日)に江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだことで浅野内匠頭は即日切腹、お家断絶となり、大石内蔵助以下、赤穂浪士47名は翌15年12月14日(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介を殺害、この一連の事件のこと。
うーん、仇討ちはいかんと思うわけです。
ただ浅野内匠頭は綱吉に切腹を命じられたわけで、吉良を討つことは仇討ちとはちょっと違うんじゃ?と思うのです。
浅野内匠頭が「無念」っていって死んだので、その無念を晴らそうとしたってことなんだけど、それによってものすごくたくさんの人が死んだり、罰せられたりしてる。
浅野内匠頭って人はいったいどんな人だったんだろう?
せめて刃傷沙汰を起こしたことが正当な理由であって(現代の私には理解しかねることであったとしても)、赤穂浪士たちもたくさんの犠牲を払ってでも晴らさねばならない恨みであるとわかっての行動であってほしいと願う。


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