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師崎岬からの帰り道、<野間大坊>の看板に誘われて寄ってみることにする。

とりあえず東駐車場に車を停め、境内に入っていくと、すぐ左手に<源義朝公御廟>がある。

源義朝(みなもとのよしとも)は源頼朝(みなもとのよりとも)の父ちゃんである。
義朝は平家に敗れて野間に身を寄せてたんだけど、平家からの恩賞目当ての長田忠致によって殺された。
入浴中を襲われた義朝は最期に、

「我れに木太刀の一本なりともあれば!」

と叫んだと言われてることから、義朝のお墓には山のように木刀が供えられているのだそうだ。

そして、<本堂>へ。

この<本堂>のことを<大御堂寺>と言うらしい。
「知多四国八十八箇所の50番札所」で本尊は<阿弥陀三尊>

境内の桜満開d(・∀<)

少し歩くと<鐘楼堂>が見えてくる。
<梵鐘>は重要文化財で、鎌倉幕府5代将軍藤原頼嗣が寄進したものらしい。

そして、<お砂踏み>51~88番を通って、<本殿>(客殿)へ。

この<本殿>のことを<野間大坊>と言い、県の重要文化財に指定されている。
「知多四国八十八箇所の51番札所」で本尊は<地蔵菩薩像>

お庭がまた<お砂踏み>1~50番になっている。
<お砂踏み>とは、四国八十八ヶ所それぞれのお寺の本尊をお祀りし、それぞれの境内の砂をそれぞれの正面に敷き、それらを踏みながら礼拝することで、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝したのと同じ功徳を積めるというもの。
とりあえず、四国八十八ヶ所はちょっとづつまわりたいなぁと思っているので、<お砂踏み>はパス。
それに、功徳を積もうと思っているわけでもないので。

さて、駐車場へ戻りがてら、<大門>のほうへ。

源頼朝が創建したといわれているのだそうだ。
<弁天池>の横を抜けると、<地の池>へ出る。

義朝公の首を洗ったといわれるこの池、「国に異変があると池の水が赤く染まる」と言ういいつたえがあるとか。

あとは、<マニ堂>を覗いて、大きい<マニ車>をぐるっとまわして、駐車場へ戻ったのでした。

今回は神社仏閣に寄る予定にしてなかったから「朱印帳」を持ち歩いてなくって、やはし出かけるときは何があるかわかんないんだから、常に持って出ようと心に決める。


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