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<久国寺>へやってきた。

山門

<山門>

本堂

そして<本堂>

護国観音

<本堂>の左手にそびえてる<護国観音>

そしてそしてこれがおめあてのとげとげの鐘!

歓喜の鐘

<山門>をくぐって右手にあるこの鐘は、1965年に岡本太郎が作ったもので<歓喜の鐘>といわれる。
この鐘はマンダラをイメージしてあって、上部には人間、下部には仏、動物や魚、妖怪などが描かれ、森羅万象が表現されているらしい。
よく見るとあのとげとげは人間の手なのだ。
鐘を撞くと角が共鳴し複雑な余韻がいつまでも鳴り響くとか。
大晦日の除夜の鐘は並んだ順に鐘を撞かせてもらえる。
もちろん撞いてみたいし、鐘の音を聞いてもみたいけど、大晦日にここまでくるのはちと・・・・・。
ま、いつか聞くことができる日がくるかもと期待して。

このお寺は、慶長年間(1596~1615)に長国守養によって創建され、1662年に現在の場所に移り、<名古屋城>の鬼門除けとされたという。
建物は新しく、境内もきれいに整備されている。

初冬

もう冬はすぐそこって感じ。


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いつも通る道から路地をなにげに覗いたら、なにやらのぼり旗がはためいてるのを見つけ、路地へ足を踏み入れてみた。

のぼり

拝殿


手水舎

ここの<手水舎>は珍しいカエルの親子だ(よね?)。

祠

拝殿の右側に<祠>があって、なにかが祀ってある・・・・・。

切通陣屋跡之碑

いつも通る道というのは<中山道>なわけですが、この<切通観音>の場所辺りには<切通陣屋>があったのね。

よくよく調べてみたら、この辺りに<長森城>があったらしい。
1185年に長森の地頭が築城し、南北朝時代の1339年に美濃の土岐氏が長森城に移ってきて城郭の整備をして城主となった。
1353年、土岐氏は川手城を築城して本拠地とし、<長森城>が廃城になったのは斉藤道三が美濃国を支配して稲葉山城を拠点にした頃だとか。

そして<長森城跡>に<切通陣屋>が築かれたのが1803年、明治維新後の廃藩置県によって廃止された。

家からこんなに近いところに城跡があったなんて!!!!


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父の27回忌のお経をあげてもらうことになり、久しぶりに(というか初めて)全員が揃う。

山門

鐘撞堂

地蔵堂

本堂

ご本尊様

ヤマアジサイ

お経の後、すごく良いお天気の中、みんなでお墓参り。
よくよく考えてみれば、自分が父の死んだ歳になってるんだなぁとしみじみしてしまった。

おまけ

みんな揃った写真をもらって、お父さんが生きてたらよかったのにって思っちゃった。


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腹ごしらえの後、近くにある<法華寺>に寄ってみることにした。
山の上にあるらしく、坂を登って、階段を登る。

山門

なんだか左手は普通のお家みたいだし、入っていいのかしらん・・・・って感じ。
左手は保育園だったし。
ま、とにかく<山門>をくぐって正面に<本堂>

本堂

<本堂>の<龍の彫刻>がすごい!

龍

そして、<象の彫刻>もすてき。

象

目がきらきらしてて、うれしそーーーーに跳んでる。
思わずにやにやしてしまうわ。
それからもうひとつ、<本堂>のまん前に<獅子>がいる!

獅子

なんだか舞台で芸をしてるみたいでとってもかわいい。

思いついてぶらっと寄ったので、帰ってから調べてみて知ったんだけど、この<法華寺>は、土方歳三率いる旧幕府軍が大砲を置いて松前城を攻撃したという寺なんだそうな。
「法華寺から福山城を望む」という有名な古い写真があるらしく、今でも同じように見えるらしい。
本堂の左手のほうへ行ってみればよかったんだろうな。
ちょっと悔しい・・・・。


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師崎岬からの帰り道、<野間大坊>の看板に誘われて寄ってみることにする。

とりあえず東駐車場に車を停め、境内に入っていくと、すぐ左手に<源義朝公御廟>がある。

源義朝(みなもとのよしとも)は源頼朝(みなもとのよりとも)の父ちゃんである。
義朝は平家に敗れて野間に身を寄せてたんだけど、平家からの恩賞目当ての長田忠致によって殺された。
入浴中を襲われた義朝は最期に、

「我れに木太刀の一本なりともあれば!」

と叫んだと言われてることから、義朝のお墓には山のように木刀が供えられているのだそうだ。

そして、<本堂>へ。

この<本堂>のことを<大御堂寺>と言うらしい。
「知多四国八十八箇所の50番札所」で本尊は<阿弥陀三尊>

境内の桜満開d(・∀<)

少し歩くと<鐘楼堂>が見えてくる。
<梵鐘>は重要文化財で、鎌倉幕府5代将軍藤原頼嗣が寄進したものらしい。

そして、<お砂踏み>51~88番を通って、<本殿>(客殿)へ。

この<本殿>のことを<野間大坊>と言い、県の重要文化財に指定されている。
「知多四国八十八箇所の51番札所」で本尊は<地蔵菩薩像>

お庭がまた<お砂踏み>1~50番になっている。
<お砂踏み>とは、四国八十八ヶ所それぞれのお寺の本尊をお祀りし、それぞれの境内の砂をそれぞれの正面に敷き、それらを踏みながら礼拝することで、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝したのと同じ功徳を積めるというもの。
とりあえず、四国八十八ヶ所はちょっとづつまわりたいなぁと思っているので、<お砂踏み>はパス。
それに、功徳を積もうと思っているわけでもないので。

さて、駐車場へ戻りがてら、<大門>のほうへ。

源頼朝が創建したといわれているのだそうだ。
<弁天池>の横を抜けると、<地の池>へ出る。

義朝公の首を洗ったといわれるこの池、「国に異変があると池の水が赤く染まる」と言ういいつたえがあるとか。

あとは、<マニ堂>を覗いて、大きい<マニ車>をぐるっとまわして、駐車場へ戻ったのでした。

今回は神社仏閣に寄る予定にしてなかったから「朱印帳」を持ち歩いてなくって、やはし出かけるときは何があるかわかんないんだから、常に持って出ようと心に決める。


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