忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

西国三十三所第二十二番札所の<総持寺>へ。

山門

階段を登ったところに立派な<山門>があって、両脇にはちゃんと<仁王様>も。

手水舎

階段右下にあった<手水舎>
今まで見たことない形をしてて、人が近寄るとセンサーが反応して水が出るようになってた!!!
水の節約みたいな意味もあるんだろうけど・・・・・

<山門>をくぐって境内へ。

本堂

<本堂>でお参り。
1571年に織田信長の軍勢に総持寺が焼かれたとき、秘仏本尊である千手観音の下半身も焼かれたんだけど、上半身は黄金に輝いていたといわれることから「火伏せ観音」と呼ばれ信仰されているのだとか。
また、この観音様は亀に乗っているらしいんだけど、秘仏公開は毎年4月15日から21日までと見ることは叶わず。
ちゃんと調べてから行け!ってことなんだけど・・・・、残念!

総持寺を開いたのは藤原山陰という平安時代の役人で、「亀の恩返し」という昔話で伝えられている。

 藤原山陰の父、高房が太宰府に赴任する途中、淀川で漁師に捕まった亀を助ける。
 その夜、山陰が川に落ち、高房は観音様に山陰の無事を祈ると、昼間の亀が山陰を背に乗せて現れた。
 高房は感謝し、観音像を造ることを誓うが、願いが叶う前に亡くなってしまう。
 山陰は父の遺志を継ぎ、長谷観音のお告げで仏師を見つけ、「これから千日間かけて仏像を彫るから誰も部屋に入れるな。食事は山陰自身が作るように」という仏師のいいつけを守って千日食事をつくり続けた。
 そして、千日目の朝、仏師は空に飛んで消え、亀の背に乗る千手観音像が残された。


千日料理をつくり続けた山陰は「包丁道の祖」として有名で、秘仏が公開されている期間中の4月18日には<山陰流包丁式>という行事が行われ、全国から料理人が参拝に訪れるのだとか。

包丁塚

境内には<包丁塚>や、弘法大師、地蔵菩薩、惚け封じの普悲観音が祀られた建物がたくさん。

亀

そして境内にある小さな池には<亀>もたくさん。
仲よさげにひなたぼっこする亀たちにほのぼのしたのでした。


より大きな地図で あちこちマップ を表示

拍手[1回]

PR
日本100名城のひとつ<名古屋城>へやってきた。

名古屋城

1532年、織田信秀は今川氏豊が築いた城を奪って那古野城とした。
信秀の嫡男<織田信長>は那古野城で生まれたといわれ、信長が本拠を清洲城に移すまでの居城となる。
関ヶ原の戦いのあと徳川家康は名古屋に城を置くことを決め、天下普請によって廃城となっていた那古野城周辺に築城が進められる。
1612年に大天守が完成し、清洲城から4年かけて家臣、町人、社寺、清洲城小天守までもが大移動。
明治維新後、徳川慶勝は名古屋城の破却を申し出て、本丸は保存されることとなる。
1930年には宮内省から名古屋市に下賜され、建造物や障壁画が旧国宝に指定された名古屋城は、1945年の名古屋空襲によって本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などを焼失するが、1959年に天守、金鯱が再建されていた。

そして今!
バブルが崩壊して中断していた<本丸御殿>の再建が2008年に着工されて、第一期工事が行われている最中。
現場見学ができるというので、覗いてきた。

本丸御殿

こんな感じ。
いいなぁ。
釘一本打たせてもらえないかなぁ~。
いや、釘なんて使わないのかもしれんけど・・・・・。

3期に分けて行われるこの工事、すべて完成するのは2022年。
少しづつ公開されることになるだろうから、ときどき見にいこうかなと。

そしてもうひとつ楽しみなのが!
2009年に河村たかし名古屋市長が「名古屋城天守閣をコンクリート造から木造に建て直すことを検討する」と発表してまして。
その後、どうなってるんだろう????
博物館的なコンクリート造りのお城の残念さといったらないので、ぜひとも<木造の名古屋城>実現してほしい。


より大きな地図で あちこちマップ を表示

拍手[1回]

のらにゃんこ

岩国の街はにゃんこがたくさんうろうろしてる。
カメラを向けると「にゃぁ」と近寄ってくるし、寝てる子はびくともしない。
吉香神社へ渡る橋の欄干がテリトリーらしいこのにゃんこ、ずーっと欄干の上で行ったり来たりしてた。

拍手[2回]

<てつのくじら館>のお向かいにある呉市海事歴史科学館<大和ミュージアム>へ。
ここには10分の1の戦艦「大和」が展示されてる。

大和

1941年に呉の海軍工場で極秘裏に建造された世界最大の戦艦。
1945年4月、沖縄特攻作戦に向かう途中、アメリカの攻撃を受け沈没した。
半ば伝説となってた「大和」なんだけど、1985年「海の墓標委員会」、1999年「大和プロジェクト'99」と2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げがあって、やっと「大和」の最期がわかってみたい。

そのほか<零式艦上戦闘機62型>なんかの展示も。

零戦

とにかく戦艦「大和」はすごい技術の集大成として作られ、その技術は今もいろんな分野に受け継がれているのだとか。
造船のまち・呉、すごいやん。


より大きな地図で あちこちマップ を表示

拍手[1回]

お好み焼きを食べ、広島に泊まった翌日、<てつのくじら>を見るために呉へと向かう。

てつのくじら

この海上自衛隊呉史料館<てつのくじら館>には、1985年からさまざまな任務につき、2004年除籍した<あきしお>が、2006年に引き揚げられて展示されているのだ。
遠目にみてもでかいけど、近寄ってみるとほんとーーーにでかい。

くじらのしっぽ

しっぽのところ見上げるとこんな感じ。

史料館では、海上自衛隊の歴史や活動についての展示がしてある。
2階展示室の「掃海」についてはなかなか興味深く、「機雷はきらいってね」とか言うガイドのおじさんがいて、説明もわかりやすくおもしろかった。
戦時中、日本の周りの海にばら撒かれた機雷がまだまだたくさん残ってるのだそうだ。
そういう機雷を処理する仕事をしてる人がいるんだなぁ・・・・・。

最後に「あきしお」艦内の体験ができるんだけど、双眼鏡を覗かせてもらえる。
港の方に向けて少し動かせるだけに固定されてたけど、感動!!!!


より大きな地図で あちこちマップ を表示

拍手[1回]

カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
blogram
blogram投票ボタン
最新コメント
[11/03 けものだ]
[08/15 yo^ko]
[06/01 yo^ko]
spider web

Template By Emile*Emilie / Material by Auto-Alice
忍者ブログ [PR]