×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今年の初詣は<津島神社>へ。
<拝殿>の正面にある<南門>。
<拝殿>。
<拝殿>に向かって右手にある<楼門>は、1591年に豊臣秀吉により寄進されたもの。
境内は広く、あらゆる摂末社が並んでて、手を合わせてたらきりがない・・・・。
ここは東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社で、もともとは<津島牛頭天王社>(津島天王社)と呼ばれていたんだけど、明治の神仏分離の際に仏教的なことは取り除かれることになり、名称も<津島神社>とされた。
日本の三大川祭りのひとつとされる<津島天王祭>が有名で、ここに「天王」の名が残っている。
この川祭りの写真をいくつか見たけど、実際に見てみたいなぁ。
信長や秀吉も楽しんだらしい。
<拝殿>の正面にある<南門>。
<拝殿>。
<拝殿>に向かって右手にある<楼門>は、1591年に豊臣秀吉により寄進されたもの。
境内は広く、あらゆる摂末社が並んでて、手を合わせてたらきりがない・・・・。
ここは東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社で、もともとは<津島牛頭天王社>(津島天王社)と呼ばれていたんだけど、明治の神仏分離の際に仏教的なことは取り除かれることになり、名称も<津島神社>とされた。
日本の三大川祭りのひとつとされる<津島天王祭>が有名で、ここに「天王」の名が残っている。
この川祭りの写真をいくつか見たけど、実際に見てみたいなぁ。
信長や秀吉も楽しんだらしい。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
PR
<久国寺>へやってきた。
<山門>。
そして<本堂>。
<本堂>の左手にそびえてる<護国観音>。
そしてそしてこれがおめあてのとげとげの鐘!
<山門>をくぐって右手にあるこの鐘は、1965年に岡本太郎が作ったもので<歓喜の鐘>といわれる。
この鐘はマンダラをイメージしてあって、上部には人間、下部には仏、動物や魚、妖怪などが描かれ、森羅万象が表現されているらしい。
よく見るとあのとげとげは人間の手なのだ。
鐘を撞くと角が共鳴し複雑な余韻がいつまでも鳴り響くとか。
大晦日の除夜の鐘は並んだ順に鐘を撞かせてもらえる。
もちろん撞いてみたいし、鐘の音を聞いてもみたいけど、大晦日にここまでくるのはちと・・・・・。
ま、いつか聞くことができる日がくるかもと期待して。
このお寺は、慶長年間(1596~1615)に長国守養によって創建され、1662年に現在の場所に移り、<名古屋城>の鬼門除けとされたという。
建物は新しく、境内もきれいに整備されている。
もう冬はすぐそこって感じ。
<山門>。
そして<本堂>。
<本堂>の左手にそびえてる<護国観音>。
そしてそしてこれがおめあてのとげとげの鐘!
<山門>をくぐって右手にあるこの鐘は、1965年に岡本太郎が作ったもので<歓喜の鐘>といわれる。
この鐘はマンダラをイメージしてあって、上部には人間、下部には仏、動物や魚、妖怪などが描かれ、森羅万象が表現されているらしい。
よく見るとあのとげとげは人間の手なのだ。
鐘を撞くと角が共鳴し複雑な余韻がいつまでも鳴り響くとか。
大晦日の除夜の鐘は並んだ順に鐘を撞かせてもらえる。
もちろん撞いてみたいし、鐘の音を聞いてもみたいけど、大晦日にここまでくるのはちと・・・・・。
ま、いつか聞くことができる日がくるかもと期待して。
このお寺は、慶長年間(1596~1615)に長国守養によって創建され、1662年に現在の場所に移り、<名古屋城>の鬼門除けとされたという。
建物は新しく、境内もきれいに整備されている。
もう冬はすぐそこって感じ。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
<中山寺>の境内にこんな場所があった。
中へ入ってみると、石の棺らしきものが。
「これは<石の櫃>(いしのからと)といい、第14代仲哀天皇の先后である大中姫の墓である」と立て札がある。
調べてみると、ここは<白鳥塚古墳>(中山寺古墳とも呼ばれる)で、巨石でつくられた横穴式石室に家形石棺が置かれている。
墳丘は変形しちゃってるし、副葬品の有無もわからないようだけど、古くからの名所であるらしい。
中山寺伝では、大中姫の子である忍熊皇子は継母である神功皇后とその子応神天皇に対し反乱を起こして敗れてこの地に葬られるが、異母弟である応神天皇が慰霊の使者を送ると、忍熊皇子の霊が「恨みを捨て、厄除神になる」と答え、古墳から白鳥が飛び出して山中の石の中に消えた、とある。
とはいうものの、石棺との年代に差があることからほんとはそうじゃなくって、単に聖徳太子が大中姫と忍熊皇子の霊をこの地に祀ったことから、大中姫の墓だといわれるようになったのだとか。
ま、どっちにしろ、<白鳥塚>という名前の由来としては、とってもいろんなことを想像しちゃうおはなしでステキだ。
中へ入ってみると、石の棺らしきものが。
「これは<石の櫃>(いしのからと)といい、第14代仲哀天皇の先后である大中姫の墓である」と立て札がある。
調べてみると、ここは<白鳥塚古墳>(中山寺古墳とも呼ばれる)で、巨石でつくられた横穴式石室に家形石棺が置かれている。
墳丘は変形しちゃってるし、副葬品の有無もわからないようだけど、古くからの名所であるらしい。
中山寺伝では、大中姫の子である忍熊皇子は継母である神功皇后とその子応神天皇に対し反乱を起こして敗れてこの地に葬られるが、異母弟である応神天皇が慰霊の使者を送ると、忍熊皇子の霊が「恨みを捨て、厄除神になる」と答え、古墳から白鳥が飛び出して山中の石の中に消えた、とある。
とはいうものの、石棺との年代に差があることからほんとはそうじゃなくって、単に聖徳太子が大中姫と忍熊皇子の霊をこの地に祀ったことから、大中姫の墓だといわれるようになったのだとか。
ま、どっちにしろ、<白鳥塚>という名前の由来としては、とってもいろんなことを想像しちゃうおはなしでステキだ。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
だるまのお寺<勝尾寺>の次にやってきたのは宝塚にある<中山寺>。
西国三十三所第二十四番札所になる。
以前はよく宝塚歌劇を見るためすいぶん中山寺駅を通過したものだけど、一度もお参りしたことはなかった。
この辺りはなんだかすこし懐かしい。
こんな雰囲気のある路地をぬけると、大きな<山門>が現れる。
1646年に徳川家光が再建したもの。
両脇の赤い仁王様はずいぶんと新しいものだと思う。
参道をずーっと歩いて<本堂>へ。
1603年に豊臣秀頼の命で片桐且元が再建した。
軒下の壁の模様、すごくきれい。
このお寺は、聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場。
また、安産祈願の霊場として信仰が深く、豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとか、中山一位局が安産祈願して明治天皇を無事出産したといわれ、毎月戌の日には「安産祈祷会」が行われ、多くの参詣者が訪れるらしい。
<本堂>のお隣にある<護摩堂>。
こちらも1603年に再建されてて、<山門><本堂>と共に、県指定重要有形文化財になっている。
<護摩堂>の向うは<開山堂>。
本尊は<十一面観世音菩薩>で、左右の脇侍も十一面観世音菩薩、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。
この秘仏は毎月18日に開扉される。
またしても拝めず・・・・・
が、境内に33体の観音様が並んでるのを発見。
ま、よしとする。
西国三十三所第二十四番札所になる。
以前はよく宝塚歌劇を見るためすいぶん中山寺駅を通過したものだけど、一度もお参りしたことはなかった。
この辺りはなんだかすこし懐かしい。
こんな雰囲気のある路地をぬけると、大きな<山門>が現れる。
1646年に徳川家光が再建したもの。
両脇の赤い仁王様はずいぶんと新しいものだと思う。
参道をずーっと歩いて<本堂>へ。
1603年に豊臣秀頼の命で片桐且元が再建した。
軒下の壁の模様、すごくきれい。
このお寺は、聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場。
また、安産祈願の霊場として信仰が深く、豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとか、中山一位局が安産祈願して明治天皇を無事出産したといわれ、毎月戌の日には「安産祈祷会」が行われ、多くの参詣者が訪れるらしい。
<本堂>のお隣にある<護摩堂>。
こちらも1603年に再建されてて、<山門><本堂>と共に、県指定重要有形文化財になっている。
<護摩堂>の向うは<開山堂>。
本尊は<十一面観世音菩薩>で、左右の脇侍も十一面観世音菩薩、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。
この秘仏は毎月18日に開扉される。
またしても拝めず・・・・・
が、境内に33体の観音様が並んでるのを発見。
ま、よしとする。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
<総持寺>に続いて、西国三十三所第二十三番札所<勝尾寺>へ。
境内に出入りするには<お休み処>を通らねばならない。
さすが商売上手。
1603年に豊臣秀頼によって再建され、平成にはいって修復された<山門>。
通路両脇にはちゃんと<仁王様>が睨んでた。
参道をずーっと歩き、階段をずーっと登っていくと<勝ちダルマ奉納棚>が。
とにかく大小のダルマがぎっしり!!
願いが叶った勝ちダルマが奉納されてて、増える一方なのだとか。
顔もいろいろだし、あちこちきょろきょろしてる感じで笑えてくる( *^艸^)プププ
そのすぐ隣にあるのが<厄払い三宝荒神社>。
「三宝荒神」というのは仏・法・僧の三宝を守り、不浄や災難を除去する神様として信仰されている。
ここ<勝尾寺>の荒神社は、日本で最初のものなのだそうだ。
そして<本殿>。
こちらも<山門>同様、1603年に豊臣秀頼によって再建されている。
<勝尾寺>は紅葉の名所として有名なのだそうで、平日だというのに結構人がたくさん。
天気も良くって、紅葉の赤がきれーだった。
境内に出入りするには<お休み処>を通らねばならない。
さすが商売上手。
1603年に豊臣秀頼によって再建され、平成にはいって修復された<山門>。
通路両脇にはちゃんと<仁王様>が睨んでた。
参道をずーっと歩き、階段をずーっと登っていくと<勝ちダルマ奉納棚>が。
とにかく大小のダルマがぎっしり!!
願いが叶った勝ちダルマが奉納されてて、増える一方なのだとか。
顔もいろいろだし、あちこちきょろきょろしてる感じで笑えてくる( *^艸^)プププ
そのすぐ隣にあるのが<厄払い三宝荒神社>。
「三宝荒神」というのは仏・法・僧の三宝を守り、不浄や災難を除去する神様として信仰されている。
ここ<勝尾寺>の荒神社は、日本で最初のものなのだそうだ。
そして<本殿>。
こちらも<山門>同様、1603年に豊臣秀頼によって再建されている。
<勝尾寺>は紅葉の名所として有名なのだそうで、平日だというのに結構人がたくさん。
天気も良くって、紅葉の赤がきれーだった。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
カレンダー
04 | 2024/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最新記事
(02/14)
(01/28)
(01/27)
(07/18)
(06/24)
(05/29)
(05/28)
(02/18)
(02/17)
(02/12)
カテゴリー
spider web