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掛川城の大手門をくぐってすぐのところにある<三光稲荷>。
お稲荷さんなのでもちろん<狛狐>がいる。
一豊が掛川城の大改修が行なっていた時期に豊臣秀吉の命で伏見桃山城の築城に加わったご縁から、大手郭と大手厩の鎮守として「伏見稲荷」を勧請したのがこの<三光稲荷>。。
南北朝時代の初めころ、後醍醐天皇が京から吉野へ行く途中、闇夜で難渋し、伏見稲荷で祈ったところ、三光(太陽、月、星のこと)に助けられ、無事大和へ導かれたという故事がある。
そんなご利益を祈願してお祀りされたことから、掛川城主や家中の侍が城から出かける時には、その道中の安全と業務の成功を祈願し、また帰ってきたときには無事のお礼に参詣されたらしい。
小さい神社だけど、けっこう重要な神社であり、今までずっと大事にされてきた感じがいいね。
ところで、拝殿には厳重に鍵がしてあって、こんな張り紙が。
賽銭泥に進言
毎日賽銭管理しています
開扉しても無駄です
ってことは、夜とかにこの神社へやってきて、この狛狐が見てる中、お賽銭を盗んでいく人がいるってこと?
勇気のある人がいたもんだ・・・・・・
お稲荷さんなのでもちろん<狛狐>がいる。
一豊が掛川城の大改修が行なっていた時期に豊臣秀吉の命で伏見桃山城の築城に加わったご縁から、大手郭と大手厩の鎮守として「伏見稲荷」を勧請したのがこの<三光稲荷>。。
南北朝時代の初めころ、後醍醐天皇が京から吉野へ行く途中、闇夜で難渋し、伏見稲荷で祈ったところ、三光(太陽、月、星のこと)に助けられ、無事大和へ導かれたという故事がある。
そんなご利益を祈願してお祀りされたことから、掛川城主や家中の侍が城から出かける時には、その道中の安全と業務の成功を祈願し、また帰ってきたときには無事のお礼に参詣されたらしい。
小さい神社だけど、けっこう重要な神社であり、今までずっと大事にされてきた感じがいいね。
ところで、拝殿には厳重に鍵がしてあって、こんな張り紙が。
賽銭泥に進言
毎日賽銭管理しています
開扉しても無駄です
ってことは、夜とかにこの神社へやってきて、この狛狐が見てる中、お賽銭を盗んでいく人がいるってこと?
勇気のある人がいたもんだ・・・・・・
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すっごく良い天気の中、<掛川城>へ。
掛川城は「日本100名城」のひとつ。
天守閣は1994年に市民や地元企業などから10億円の募金を集めて再建されたもの。
天守閣から見た<太鼓櫓>。
1861年に再建された<二ノ丸御殿>は、1980年に国の重要文化財に指定されている。
二ノ丸御殿の玄関先から天守閣をバックに「一豊」と「千代」(だと思われる)。
掛川城は「日本100名城」のひとつ。
天守閣は1994年に市民や地元企業などから10億円の募金を集めて再建されたもの。
天守閣から見た<太鼓櫓>。
1861年に再建された<二ノ丸御殿>は、1980年に国の重要文化財に指定されている。
二ノ丸御殿の玄関先から天守閣をバックに「一豊」と「千代」(だと思われる)。
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能登丼を食べ終えたあと、すぐ近くにある<重蔵神社>を散策。
えっへん。
おっほん。
って感じにえらく姿勢のよい<狛犬>。
すいぶん広そうな神社なのに<鳥居>がないなぁと思ってたら、狛犬と境内までの間の駐車場の脇に寝転がってる鳥居らしきものを見つける。
どうやら2007年の能登半島地震のときに倒壊したみたい。
結構大きくて立派だったんじゃないかな。
早く再建されるといいけど。
境内に入って<手水舎>。
2頭の龍が水盤からぬっと顔を出してるってのは珍しいと思うんだけど。
おまけに鼻と頭の角で柄杓を支えているという・・・・・。
確かに柄杓を置く場所はないけれども、これでいいのか????
手水舎の右となりに<要石>なるものが。
要石というのは、地震を鎮めている霊石のこと。
茨城県鹿嶋市の<鹿島神宮>と千葉県香取市<香取神宮>にある2つの要石が有名で、地上に見えてる部分はほんの少しで、地中深く伸びた石は、暴れる大なまずを押さえているのだとか。
ちなみに、鹿島神宮の要石は大なまずの頭、香取神宮の要石は大なまずの尾をおさえてるらしい。
で、この重蔵神社の<要石>なんだけど、どう見ても地中深く埋まってる巨石って感じじゃないし、地震の後で祀られたわけでもなさそうな・・・・・。
多少疑問は残るものの、大きい地震が今後起きないよう<要石>にはがんばってもらわないとね。
要石の向かい側に<拝殿>。
そしてやっぱりここにも<ゾウ>。
やけにおめめぱっちりのゾウだなぁ。
私としては、ニヘラって目のゾウが好きなんだけど。
こういう横に通っている柱(頭貫)の飛び出している部分の端っこにある彫刻のことを<木鼻(きばな)>というらしい。
鎌倉時代にはいってから作られるようになった様式で、種類としては<獅子鼻><龍鼻><獏鼻><鳥鼻><植物花>なんかがあるみたいなんだけど、私の目はなぜか<象鼻>にしか反応しない・・・・。
でも象と獏の区別は微妙かも・・・・とちょっと不安になる。
広い境内には<子安社><稲荷社><天満宮><白山社><秋葉社><金比羅社>とたくさんの境内社がある。
そんな中、<稲荷社>前にいた<狛犬>。
猫が獲物を狙っておしりをふりふりするときのカッコだ。
こういう形の狛犬は初めて見たと思うんだけど、「出雲構え」というらしい。
島根県宍道町来待地区から採れる来待石(出雲石)で作られた「かまえ」のポーズをした狛犬ってことみたいで、江戸時代ころから北前船で運ばれたことから日本海沿岸でよく見られるのだとか。
なんだかかわいらしい狛犬だ。
この神社は珍しいものがいろいろあったな。
えっへん。
おっほん。
って感じにえらく姿勢のよい<狛犬>。
すいぶん広そうな神社なのに<鳥居>がないなぁと思ってたら、狛犬と境内までの間の駐車場の脇に寝転がってる鳥居らしきものを見つける。
どうやら2007年の能登半島地震のときに倒壊したみたい。
結構大きくて立派だったんじゃないかな。
早く再建されるといいけど。
境内に入って<手水舎>。
2頭の龍が水盤からぬっと顔を出してるってのは珍しいと思うんだけど。
おまけに鼻と頭の角で柄杓を支えているという・・・・・。
確かに柄杓を置く場所はないけれども、これでいいのか????
手水舎の右となりに<要石>なるものが。
要石というのは、地震を鎮めている霊石のこと。
茨城県鹿嶋市の<鹿島神宮>と千葉県香取市<香取神宮>にある2つの要石が有名で、地上に見えてる部分はほんの少しで、地中深く伸びた石は、暴れる大なまずを押さえているのだとか。
ちなみに、鹿島神宮の要石は大なまずの頭、香取神宮の要石は大なまずの尾をおさえてるらしい。
で、この重蔵神社の<要石>なんだけど、どう見ても地中深く埋まってる巨石って感じじゃないし、地震の後で祀られたわけでもなさそうな・・・・・。
多少疑問は残るものの、大きい地震が今後起きないよう<要石>にはがんばってもらわないとね。
要石の向かい側に<拝殿>。
そしてやっぱりここにも<ゾウ>。
やけにおめめぱっちりのゾウだなぁ。
私としては、ニヘラって目のゾウが好きなんだけど。
こういう横に通っている柱(頭貫)の飛び出している部分の端っこにある彫刻のことを<木鼻(きばな)>というらしい。
鎌倉時代にはいってから作られるようになった様式で、種類としては<獅子鼻><龍鼻><獏鼻><鳥鼻><植物花>なんかがあるみたいなんだけど、私の目はなぜか<象鼻>にしか反応しない・・・・。
でも象と獏の区別は微妙かも・・・・とちょっと不安になる。
広い境内には<子安社><稲荷社><天満宮><白山社><秋葉社><金比羅社>とたくさんの境内社がある。
そんな中、<稲荷社>前にいた<狛犬>。
猫が獲物を狙っておしりをふりふりするときのカッコだ。
こういう形の狛犬は初めて見たと思うんだけど、「出雲構え」というらしい。
島根県宍道町来待地区から採れる来待石(出雲石)で作られた「かまえ」のポーズをした狛犬ってことみたいで、江戸時代ころから北前船で運ばれたことから日本海沿岸でよく見られるのだとか。
なんだかかわいらしい狛犬だ。
この神社は珍しいものがいろいろあったな。
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金沢城へ向かっていたはずが、天気があまりにもなので、輪島の「永井豪記念館」を目指すことに。
午後1時頃、午前中ならきっともっと賑やかであろう輪島の朝市通りにたどり着き、「永井豪記念館」を満喫した私たちは、おなかぺこぺこなことに気づく。
道端でもらったチラシを見るとお昼は午後3時までやってるということなので、チラシをたよりに<漁師の店『こだわり』>へ向かう。
通りが人影まばらなわりに、お店はとっても繁盛してて、なんとかカウンターの席を2つ確保して、<ぶりのたたき丼> 1,000yen を注文。
どうやら周りのお客さんも<ぶりのたたき丼>を頼んでるらしく、厨房からはトントンとまな板をたたく軽快な音が響く( ̄¬ ̄*)じゅるぅうううう
やーっと私の前に現れたのがこれ↓
ぶりのたたきとわさびにお醤油をかけてぐるぐるして、海苔の香りただようごばんにのっける!
おいしーーーーーーーーーε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
意外とくせもなくあっさり、わさびもしっかり利いてて、大満足。
どうやら奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では「奥能登ウェルカムプロジェクト」という、奥能登を盛り上げよう的なプロジェクトが進行中らしく、そんな企画の中に、奥能登のお店が地元素材を使ってオリジナル丼を考案し、それを「能登丼」として売り出すというのがあるようなのだ。
<ぶりのたたき丼>もそんな「能登丼」のひとつ。
全部で58店舗が「能登丼」を出してて、どれもおいしそーーーなんで、また「能登丼」を食べるため奥能登へ行かなくては!!!!!と密かに決意するのでした。
午後1時頃、午前中ならきっともっと賑やかであろう輪島の朝市通りにたどり着き、「永井豪記念館」を満喫した私たちは、おなかぺこぺこなことに気づく。
道端でもらったチラシを見るとお昼は午後3時までやってるということなので、チラシをたよりに<漁師の店『こだわり』>へ向かう。
通りが人影まばらなわりに、お店はとっても繁盛してて、なんとかカウンターの席を2つ確保して、<ぶりのたたき丼> 1,000yen を注文。
どうやら周りのお客さんも<ぶりのたたき丼>を頼んでるらしく、厨房からはトントンとまな板をたたく軽快な音が響く( ̄¬ ̄*)じゅるぅうううう
やーっと私の前に現れたのがこれ↓
ぶりのたたきとわさびにお醤油をかけてぐるぐるして、海苔の香りただようごばんにのっける!
おいしーーーーーーーーーε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
意外とくせもなくあっさり、わさびもしっかり利いてて、大満足。
どうやら奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では「奥能登ウェルカムプロジェクト」という、奥能登を盛り上げよう的なプロジェクトが進行中らしく、そんな企画の中に、奥能登のお店が地元素材を使ってオリジナル丼を考案し、それを「能登丼」として売り出すというのがあるようなのだ。
<ぶりのたたき丼>もそんな「能登丼」のひとつ。
全部で58店舗が「能登丼」を出してて、どれもおいしそーーーなんで、また「能登丼」を食べるため奥能登へ行かなくては!!!!!と密かに決意するのでした。
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いつも通る道から路地をなにげに覗いたら、なにやらのぼり旗がはためいてるのを見つけ、路地へ足を踏み入れてみた。
ここの<手水舎>は珍しいカエルの親子だ(よね?)。
拝殿の右側に<祠>があって、なにかが祀ってある・・・・・。
いつも通る道というのは<中山道>なわけですが、この<切通観音>の場所辺りには<切通陣屋>があったのね。
よくよく調べてみたら、この辺りに<長森城>があったらしい。
1185年に長森の地頭が築城し、南北朝時代の1339年に美濃の土岐氏が長森城に移ってきて城郭の整備をして城主となった。
1353年、土岐氏は川手城を築城して本拠地とし、<長森城>が廃城になったのは斉藤道三が美濃国を支配して稲葉山城を拠点にした頃だとか。
そして<長森城跡>に<切通陣屋>が築かれたのが1803年、明治維新後の廃藩置県によって廃止された。
家からこんなに近いところに城跡があったなんて!!!!
ここの<手水舎>は珍しいカエルの親子だ(よね?)。
拝殿の右側に<祠>があって、なにかが祀ってある・・・・・。
いつも通る道というのは<中山道>なわけですが、この<切通観音>の場所辺りには<切通陣屋>があったのね。
よくよく調べてみたら、この辺りに<長森城>があったらしい。
1185年に長森の地頭が築城し、南北朝時代の1339年に美濃の土岐氏が長森城に移ってきて城郭の整備をして城主となった。
1353年、土岐氏は川手城を築城して本拠地とし、<長森城>が廃城になったのは斉藤道三が美濃国を支配して稲葉山城を拠点にした頃だとか。
そして<長森城跡>に<切通陣屋>が築かれたのが1803年、明治維新後の廃藩置県によって廃止された。
家からこんなに近いところに城跡があったなんて!!!!
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