×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
よく晴れた休みの日、会社近くの<八剣神社>を散策してみる。
まずは<一の鳥居>。
<一の鳥居>から<三の鳥居>までの参道両脇にはずら~りと<春日形灯籠>が並んでる。
参道の途中に東海道本線が横切ってて、踏切は無いので約100m南の踏切へ迂回するしなくてはならない。
線路の向うに見えるのが<二の鳥居>。
ぐるっと回って<二の鳥居>へ。
そして<三の鳥居>。
この神社の<手水舎>は頭と玉を持った左手のみの龍。
なんだかちょっと窮屈そう。
水盤の右手にレバーがあって、自分で水を出すしくみになってる。
<狛犬>。
<拝殿>。
社殿は1651年頃のものなんだけど、1930年に大改築されている。
<拝殿>の裏手の<本殿>。
こっちにも<狛犬>いるんだなぁ。
1600年の米野の戦い(関ヶ原の戦いの前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢がこの地で休息をとり、池田輝政が境内の松に鎧を掛けて休んだと伝えられてて、その松が生えていた石垣が<本殿>の右手に残っている。
現在の松は当時のものではないみたいで(ちっちゃいもんな)、石垣の写真を撮ってこなくてはならなかったみたいだ・・・・・。
境内はけっこう広くって、<筆塚>や誰かわかんないけど<石像>や<神馬>、その他いろんな碑がある。
私がうろうろしてる間にもけっこう参拝に訪れる人がいて、いい感じの神社だな。
まずは<一の鳥居>。
<一の鳥居>から<三の鳥居>までの参道両脇にはずら~りと<春日形灯籠>が並んでる。
参道の途中に東海道本線が横切ってて、踏切は無いので約100m南の踏切へ迂回するしなくてはならない。
線路の向うに見えるのが<二の鳥居>。
ぐるっと回って<二の鳥居>へ。
そして<三の鳥居>。
この神社の<手水舎>は頭と玉を持った左手のみの龍。
なんだかちょっと窮屈そう。
水盤の右手にレバーがあって、自分で水を出すしくみになってる。
<狛犬>。
<拝殿>。
社殿は1651年頃のものなんだけど、1930年に大改築されている。
<拝殿>の裏手の<本殿>。
こっちにも<狛犬>いるんだなぁ。
1600年の米野の戦い(関ヶ原の戦いの前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢がこの地で休息をとり、池田輝政が境内の松に鎧を掛けて休んだと伝えられてて、その松が生えていた石垣が<本殿>の右手に残っている。
現在の松は当時のものではないみたいで(ちっちゃいもんな)、石垣の写真を撮ってこなくてはならなかったみたいだ・・・・・。
境内はけっこう広くって、<筆塚>や誰かわかんないけど<石像>や<神馬>、その他いろんな碑がある。
私がうろうろしてる間にもけっこう参拝に訪れる人がいて、いい感じの神社だな。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
PR
師崎岬からの帰り道、<野間大坊>の看板に誘われて寄ってみることにする。
とりあえず東駐車場に車を停め、境内に入っていくと、すぐ左手に<源義朝公御廟>がある。
源義朝(みなもとのよしとも)は源頼朝(みなもとのよりとも)の父ちゃんである。
義朝は平家に敗れて野間に身を寄せてたんだけど、平家からの恩賞目当ての長田忠致によって殺された。
入浴中を襲われた義朝は最期に、
「我れに木太刀の一本なりともあれば!」
と叫んだと言われてることから、義朝のお墓には山のように木刀が供えられているのだそうだ。
そして、<本堂>へ。
この<本堂>のことを<大御堂寺>と言うらしい。
「知多四国八十八箇所の50番札所」で本尊は<阿弥陀三尊>。
境内の桜満開d(・∀<)
少し歩くと<鐘楼堂>が見えてくる。
<梵鐘>は重要文化財で、鎌倉幕府5代将軍藤原頼嗣が寄進したものらしい。
そして、<お砂踏み>51~88番を通って、<本殿>(客殿)へ。
この<本殿>のことを<野間大坊>と言い、県の重要文化財に指定されている。
「知多四国八十八箇所の51番札所」で本尊は<地蔵菩薩像>。
お庭がまた<お砂踏み>1~50番になっている。
<お砂踏み>とは、四国八十八ヶ所それぞれのお寺の本尊をお祀りし、それぞれの境内の砂をそれぞれの正面に敷き、それらを踏みながら礼拝することで、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝したのと同じ功徳を積めるというもの。
とりあえず、四国八十八ヶ所はちょっとづつまわりたいなぁと思っているので、<お砂踏み>はパス。
それに、功徳を積もうと思っているわけでもないので。
さて、駐車場へ戻りがてら、<大門>のほうへ。
源頼朝が創建したといわれているのだそうだ。
<弁天池>の横を抜けると、<地の池>へ出る。
義朝公の首を洗ったといわれるこの池、「国に異変があると池の水が赤く染まる」と言ういいつたえがあるとか。
あとは、<マニ堂>を覗いて、大きい<マニ車>をぐるっとまわして、駐車場へ戻ったのでした。
今回は神社仏閣に寄る予定にしてなかったから「朱印帳」を持ち歩いてなくって、やはし出かけるときは何があるかわかんないんだから、常に持って出ようと心に決める。
とりあえず東駐車場に車を停め、境内に入っていくと、すぐ左手に<源義朝公御廟>がある。
源義朝(みなもとのよしとも)は源頼朝(みなもとのよりとも)の父ちゃんである。
義朝は平家に敗れて野間に身を寄せてたんだけど、平家からの恩賞目当ての長田忠致によって殺された。
入浴中を襲われた義朝は最期に、
「我れに木太刀の一本なりともあれば!」
と叫んだと言われてることから、義朝のお墓には山のように木刀が供えられているのだそうだ。
そして、<本堂>へ。
この<本堂>のことを<大御堂寺>と言うらしい。
「知多四国八十八箇所の50番札所」で本尊は<阿弥陀三尊>。
境内の桜満開d(・∀<)
少し歩くと<鐘楼堂>が見えてくる。
<梵鐘>は重要文化財で、鎌倉幕府5代将軍藤原頼嗣が寄進したものらしい。
そして、<お砂踏み>51~88番を通って、<本殿>(客殿)へ。
この<本殿>のことを<野間大坊>と言い、県の重要文化財に指定されている。
「知多四国八十八箇所の51番札所」で本尊は<地蔵菩薩像>。
お庭がまた<お砂踏み>1~50番になっている。
<お砂踏み>とは、四国八十八ヶ所それぞれのお寺の本尊をお祀りし、それぞれの境内の砂をそれぞれの正面に敷き、それらを踏みながら礼拝することで、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝したのと同じ功徳を積めるというもの。
とりあえず、四国八十八ヶ所はちょっとづつまわりたいなぁと思っているので、<お砂踏み>はパス。
それに、功徳を積もうと思っているわけでもないので。
さて、駐車場へ戻りがてら、<大門>のほうへ。
源頼朝が創建したといわれているのだそうだ。
<弁天池>の横を抜けると、<地の池>へ出る。
義朝公の首を洗ったといわれるこの池、「国に異変があると池の水が赤く染まる」と言ういいつたえがあるとか。
あとは、<マニ堂>を覗いて、大きい<マニ車>をぐるっとまわして、駐車場へ戻ったのでした。
今回は神社仏閣に寄る予定にしてなかったから「朱印帳」を持ち歩いてなくって、やはし出かけるときは何があるかわかんないんだから、常に持って出ようと心に決める。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
師崎港からは日間賀島や篠島へ渡るフェリー乗り場がある。
日間賀島、篠島といえば、タコやフグ、その他海産物が名物なんだけど、今回は島へ渡る予定はなし。
でも、師崎港でも充分雰囲気は味わえる。
売店には干物や海老せんべいなど特産品がたくさん、外にはイカが干してあるし、貝類や干物を焼くいいにおいがあたりに充満。
いいにおいに誘われて、<味里>で腹ごしらえをすることに。
ここで焼き物を食べないなんて!と言われそうだけど、あ~は貝類苦手だし、干物は体に悪いし、このところの私の食欲は停滞中。
それでも、せっかくここまできたんだからと、<たこめし> 520yen を注文。
たこがごろごろ入ってるし、量もちょうど良いくらいだし、美味しかったし、満足満足。
でも、お店の人からしたら、とっても寂しいお客だったろうな。
隣のテーブルの家族は、ビールに焼き物におでんに丼食べてたもん。
その食欲、うらやましい・・・・・。
日間賀島、篠島といえば、タコやフグ、その他海産物が名物なんだけど、今回は島へ渡る予定はなし。
でも、師崎港でも充分雰囲気は味わえる。
売店には干物や海老せんべいなど特産品がたくさん、外にはイカが干してあるし、貝類や干物を焼くいいにおいがあたりに充満。
いいにおいに誘われて、<味里>で腹ごしらえをすることに。
ここで焼き物を食べないなんて!と言われそうだけど、あ~は貝類苦手だし、干物は体に悪いし、このところの私の食欲は停滞中。
それでも、せっかくここまできたんだからと、<たこめし> 520yen を注文。
たこがごろごろ入ってるし、量もちょうど良いくらいだし、美味しかったし、満足満足。
でも、お店の人からしたら、とっても寂しいお客だったろうな。
隣のテーブルの家族は、ビールに焼き物におでんに丼食べてたもん。
その食欲、うらやましい・・・・・。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
よく晴れた日曜日。
あ~と日曜日休みが一緒になったので、「どこか暖かい方へドライブがいい!」とごねてみたところ、「じゃ、知多半島の先っちょまで行くか」とあっさり。
ヾ(≧∇≦*)/やったー
ということで、桜が綺麗に咲いてる中、ひたすら南へ。
一週間の疲れでうとうとしてるうち、師崎港へ着く。
知多半島の先っちょは<羽豆岬>というらしい。
そして<羽豆神社>があるようなので、歩いてみることに。
階段をぐいぐい登っていくと、散歩道みたいになってるんだけど、その散歩道、あとで調べてみたら、天然記念物「ウバメガシ」が生い茂るトンネルってことで有名だったみたい。
写真撮ってません・・・・・( ̄个 ̄)
散歩道の途中、展望台を発見したんだけど、「立入禁止」となってて、展望台からの景色は諦める。
多分こんな感じだと思う(散歩道の途中、ウバメガシの隙間から撮った)。
そしてこんな碑も発見。
ここには、<羽豆崎城>というのがあったみたい。
もう少し歩くと、<鳥居>と<手水舎>が。
ここの龍はなんだか顔がでかくて、マンガチックだな。
水は出ていないので、手、口をすすぐのは省略。
そして境内入口。
素朴でかわいい感じの<狛犬>。
<拝殿>には「幸せ祈願絵馬」500yen やその他お守りが置いてあった。
そして境内にはたくさんの絵馬がかけてあってほほえましいなぁとしみじみし、桜も満開だし、伊勢湾、三河湾も綺麗だし、なにやら幸せだなぁと感じるのでした。
が!!!!
散歩道を歩いてる辺りからなんだか???とは思ってたんだけど、くしゃみ、涙目、鼻水タラリ・・・・・。
どうも私にはこのウバメガシの林はダメのようです(>ω<、)
危険です。
あ~と日曜日休みが一緒になったので、「どこか暖かい方へドライブがいい!」とごねてみたところ、「じゃ、知多半島の先っちょまで行くか」とあっさり。
ヾ(≧∇≦*)/やったー
ということで、桜が綺麗に咲いてる中、ひたすら南へ。
一週間の疲れでうとうとしてるうち、師崎港へ着く。
知多半島の先っちょは<羽豆岬>というらしい。
そして<羽豆神社>があるようなので、歩いてみることに。
階段をぐいぐい登っていくと、散歩道みたいになってるんだけど、その散歩道、あとで調べてみたら、天然記念物「ウバメガシ」が生い茂るトンネルってことで有名だったみたい。
写真撮ってません・・・・・( ̄个 ̄)
散歩道の途中、展望台を発見したんだけど、「立入禁止」となってて、展望台からの景色は諦める。
多分こんな感じだと思う(散歩道の途中、ウバメガシの隙間から撮った)。
そしてこんな碑も発見。
ここには、<羽豆崎城>というのがあったみたい。
もう少し歩くと、<鳥居>と<手水舎>が。
ここの龍はなんだか顔がでかくて、マンガチックだな。
水は出ていないので、手、口をすすぐのは省略。
そして境内入口。
素朴でかわいい感じの<狛犬>。
<拝殿>には「幸せ祈願絵馬」500yen やその他お守りが置いてあった。
そして境内にはたくさんの絵馬がかけてあってほほえましいなぁとしみじみし、桜も満開だし、伊勢湾、三河湾も綺麗だし、なにやら幸せだなぁと感じるのでした。
が!!!!
散歩道を歩いてる辺りからなんだか???とは思ってたんだけど、くしゃみ、涙目、鼻水タラリ・・・・・。
どうも私にはこのウバメガシの林はダメのようです(>ω<、)
危険です。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
観音正寺(かんのんしょうじ)からのつづき・・・・・
観音正寺のある繖山は山全体が城だったのだ。
実は観音正寺へ向かう山道にも城の石垣がみられる。
近江国守護佐々木六角氏の居城跡であり、現在は石垣や礎石、側溝を残すだけの<観音寺城跡>となってるんだけど、「日本100名城」のひとつに選ばれてる。
城好きのあ~が「ついでだから」というので、観音正寺境内の左手から、<観音寺城跡>へ向かう道へ入る。
10分も登ると<本城跡>にたどり着く。
山の麓から登ってくると、あちこちに石垣や遺構がみられるようだけど、登るのは大変だろうな。
観音正寺のある繖山は山全体が城だったのだ。
実は観音正寺へ向かう山道にも城の石垣がみられる。
近江国守護佐々木六角氏の居城跡であり、現在は石垣や礎石、側溝を残すだけの<観音寺城跡>となってるんだけど、「日本100名城」のひとつに選ばれてる。
城好きのあ~が「ついでだから」というので、観音正寺境内の左手から、<観音寺城跡>へ向かう道へ入る。
10分も登ると<本城跡>にたどり着く。
山の麓から登ってくると、あちこちに石垣や遺構がみられるようだけど、登るのは大変だろうな。
より大きな地図で あちこちマップ を表示
カレンダー
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
最新記事
(02/14)
(01/28)
(01/27)
(07/18)
(06/24)
(05/29)
(05/28)
(02/18)
(02/17)
(02/12)
カテゴリー
spider web