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よく晴れていたので、買い物に出たついでに、以前より気になってた各務ヶ原の<手力雄神社>へ寄ってみる。

一の鳥居

朱塗りの<一の鳥居>

二の鳥居

参道を通って、<二の鳥居>をくぐったところに<子護薬師>がある。

?

そこにはなにやら丸い石が2個ざぶとんの上でひなたぼっこしてる!
怪しすぎる。

とりあえず写真だけ撮ってきたんだけど、調べてみたところ、どうやらこれは<おもかる石>とかいうものらしい。
石の前で願い事を念じて石を持ち上げたとき、思ったより軽ければ願いは叶い、重かったら叶わないという石のことで、この神社に昔からあるおもかる石はつるつるの丸っこい方で、いつの間にか2個に増えたんだとか・・・・・。
やっぱり怪しい。

拝殿

広い境内に、大きな<拝殿>で参拝。
拝殿の軒をくぐって裏手にまわると<本殿>があって、本殿の左側に<秋葉神社>、右側に<八幡神社>が祀ってある。
柵の隙間から本殿を見上げると、軒下にものすごいものが!

龍2

柱に龍が巻きついてるのだ。
よく見たら向こう側にも龍がいるみたいなんで、もいちど向こう側に戻ってみる。

龍

この<龍の雌雄>は、本殿とともに各務ヶ原市の重要文化財となってて、龍頭の木鼻がリアルに彫刻され、胴体と四肢の彫刻も取り付けられてるということだ。
なんてかっこいいんだろう。

そのあと境内を散策中にこんなの発見。

かわいい石

いや、もっと大きく目立つように置いてもらわないと気づかないし・・・・・。

拝殿の右手方向に<稲荷神社>がある。
ここの手水舎にはこんな昭和の少女漫画な看板が・・・・。

看板

ステキだ・・・・・。

赤い鳥居のトンネルを抜けて<社殿>へ出る。

稲荷神社

なかなか凛々しい<狛狐>だった。

手力雄神社周辺は住宅もたくさんあるし、大きい道路もあるんだけど、境内裏はうっそうとした森になっててとても静かだった。
火祭りで有名な岐阜の<手力雄神社>とは1.5キロほどしか離れてないけど、岐阜は「てぢからおじんじゃ」、各務ヶ原は「てぢからおおじんじゃ」と読み方も違い、関係はまったくないらしい。


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時間が中途半端にあったんで、伏見から栄まで歩くことにしてぶらぶらしてたら、こんもりとした森を見つける。

朝日神社

<朝日神社>らしい。
いろんな習い事の看板が立ってるけど、この神社でやってるのかなぁ???と思いつつ、<鳥居>をくぐる。

鳥居

<手水舎>へ寄ると・・・・・。

手水舎

龍が大きい虫かごの中から顔を出してて、なんだかちょっと可哀想・・・・・。

拝殿

階段を登ったところに<拝殿>が。

稲荷社

拝殿の左側に<朝日稲荷>の赤い鳥居。
鳥居をくぐって奥へ進むと<狛狐>がお出迎え。

狛狐・玉

玉をくわえた狛狐。

狛狐・巻物

巻物をくわえた狛狐。

稲荷社

摂社である<稲荷社><子守社・児宮社>が仲良く並んでる。

境内社

摂社のほかに末社がいくつか。

拝殿の右側にはけっこう大きい授与所・祈祷受付があって、ご朱印もいただけるようだった。
朱印帳を持ってないときに限って(持ってくるんだった・・・・)と思うことが多い気がするのはなぜ??????


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三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)保管されているという<熱田神宮>へ。

正門

正門である<大鳥居>

参道

大鳥居をくぐって参道へ足を踏み入れる。

大楠

境内には楠の木が多く、なかでもこの<大楠>は樹齢1000年以上の弘法大師お手植えといわれている。

信長塀

三つ目の鳥居のところにある<信長塀>
1560年、織田信長が桶狭間出陣の際にこの神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したことから、そのお礼として奉納した築地塀。
日本三大土塀の一つとして有名なのだとか(ちなみにあとの二つは、兵庫の西宮神社の大練塀、京都の三十三間堂の太閤塀)。

本宮

<本宮>

清雪門

俗に不開門(あかずのもん)とも言われている<清雪門>
もともとは本宮の北門で、668年に故あって皇居に移っていた神剣が、686年に熱田神宮に戻ってきたときに神剣が二度と動かないようにと門を閉ざしたと云われている。

二十五丁橋

板石が25枚並んでいるところから<二十五丁橋>と呼ばれ、名古屋では最古の石橋といわれている。

都会の真ん中にあるとは思えないくらい静かな<杜>だった。


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掛川城の大手門をくぐってすぐのところにある<三光稲荷>

三光稲荷

お稲荷さんなのでもちろん<狛狐>がいる。

狛狐・阿形

狛狐・吽形

一豊が掛川城の大改修が行なっていた時期に豊臣秀吉の命で伏見桃山城の築城に加わったご縁から、大手郭と大手厩の鎮守として「伏見稲荷」を勧請したのがこの<三光稲荷>。。
南北朝時代の初めころ、後醍醐天皇が京から吉野へ行く途中、闇夜で難渋し、伏見稲荷で祈ったところ、三光(太陽、月、星のこと)に助けられ、無事大和へ導かれたという故事がある。
そんなご利益を祈願してお祀りされたことから、掛川城主や家中の侍が城から出かける時には、その道中の安全と業務の成功を祈願し、また帰ってきたときには無事のお礼に参詣されたらしい。

小さい神社だけど、けっこう重要な神社であり、今までずっと大事にされてきた感じがいいね。

ところで、拝殿には厳重に鍵がしてあって、こんな張り紙が。
   賽銭泥に進言
  毎日賽銭管理しています
  開扉しても無駄です

ってことは、夜とかにこの神社へやってきて、この狛狐が見てる中、お賽銭を盗んでいく人がいるってこと?
勇気のある人がいたもんだ・・・・・・


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能登丼を食べ終えたあと、すぐ近くにある<重蔵神社>を散策。

重蔵神社

狛犬・阿形

えっへん。

狛犬・吽形

おっほん。
って感じにえらく姿勢のよい<狛犬>

すいぶん広そうな神社なのに<鳥居>がないなぁと思ってたら、狛犬と境内までの間の駐車場の脇に寝転がってる鳥居らしきものを見つける。

鳥居1

鳥居2

どうやら2007年の能登半島地震のときに倒壊したみたい。
結構大きくて立派だったんじゃないかな。
早く再建されるといいけど。

境内に入って<手水舎>

手水舎

2頭の龍が水盤からぬっと顔を出してるってのは珍しいと思うんだけど。
おまけに鼻と頭の角で柄杓を支えているという・・・・・。
確かに柄杓を置く場所はないけれども、これでいいのか????

手水舎の右となりに<要石>なるものが。

要石

要石というのは、地震を鎮めている霊石のこと。
茨城県鹿嶋市の<鹿島神宮>と千葉県香取市<香取神宮>にある2つの要石が有名で、地上に見えてる部分はほんの少しで、地中深く伸びた石は、暴れる大なまずを押さえているのだとか。
ちなみに、鹿島神宮の要石は大なまずの頭、香取神宮の要石は大なまずの尾をおさえてるらしい。

で、この重蔵神社の<要石>なんだけど、どう見ても地中深く埋まってる巨石って感じじゃないし、地震の後で祀られたわけでもなさそうな・・・・・。
多少疑問は残るものの、大きい地震が今後起きないよう<要石>にはがんばってもらわないとね。

要石の向かい側に<拝殿>

社殿

そしてやっぱりここにも<ゾウ>。

ゾウ

やけにおめめぱっちりのゾウだなぁ。
私としては、ニヘラって目のゾウが好きなんだけど。
こういう横に通っている柱(頭貫)の飛び出している部分の端っこにある彫刻のことを<木鼻(きばな)というらしい。
鎌倉時代にはいってから作られるようになった様式で、種類としては<獅子鼻><龍鼻><獏鼻><鳥鼻><植物花>なんかがあるみたいなんだけど、私の目はなぜか<象鼻>にしか反応しない・・・・。
でも象と獏の区別は微妙かも・・・・とちょっと不安になる。

境内

広い境内には<子安社><稲荷社><天満宮><白山社><秋葉社><金比羅社>とたくさんの境内社がある。

そんな中、<稲荷社>前にいた<狛犬>

稲荷社の狛犬

猫が獲物を狙っておしりをふりふりするときのカッコだ。
こういう形の狛犬は初めて見たと思うんだけど、「出雲構え」というらしい。
島根県宍道町来待地区から採れる来待石(出雲石)で作られた「かまえ」のポーズをした狛犬ってことみたいで、江戸時代ころから北前船で運ばれたことから日本海沿岸でよく見られるのだとか。
なんだかかわいらしい狛犬だ。

狛犬と拝殿

この神社は珍しいものがいろいろあったな。


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